daianruka’s diary

いろいろ話します🎀🎀❣️❣️👸👸

さて、病気のこと、もう少し話します。

病気が見つかってから一年半以上経ちます。

私はまだ生きています。


大きな病院に転院になってから、

まずは内視鏡検査から治療が始まりました。


麻酔を打たれて朦朧とした状態、

よく覚えていません。

でも気持ち悪く

辛かったことは覚えています。

そして、

胃の出口に癌が大きくあるそうで、

食べ物が食べられないので、ステントと言う

胃の出口を広げる器具をいれました。


まだ入っていますが、今もそのステントの痛みなどは全くない。


それから腹水を3回抜いて

栄養だけ元に戻す治療、

医療用麻薬を首点滴で入れる措置も。

ちょうど小林麻央さんが亡くなるまで、

鎖骨から点滴を入れていたのと同じだと思います。

入院してすぐの時は体重36キロ。

これが最低の体重でした。

レントゲン室まで車椅子でした。

だってフラフラして歩けない。


健康な時は

58〜60キロをウロウロしていた

太めの私でしたから、、


また病気の話は次回に。




さて、なんで病気になったのか。


私が教師の端くれだったのは前回書きました。

正確には日本語を教えて回る公立の小学校中学校の非常勤講師でした。

大学を卒業後、アメリカに行って、日本語の紹介をしたり、いろいろ活動するうち、

日本語教師になりたいと思い、誇りを持って、仕事をしてきました。


病気になった年は全部で15校の学校を回り、

その上、週2日、定時制高校の国語科の講師もやっていました。

忙しく忙しく、、、

毎日いっぱいいっぱいの日々、、


高校の夏の健康診断も受けていました。


もしちゃんと胃カメラの検査をしていたら、

病気はもっと早く見つけられたに違いない。

でも怖くてできなかった。

その検査のときの体重は52.5キロでした。

ダイエットなどしていないのに、

痩せてきていました。

生徒達にも、

先生痩せすぎ、病院行ったほうがいい、

と心配されていました。

でも怖くて怖くて、、


秋になり、

それでも毎日忙しい日々。

だんだんご飯が普通に食べられなくなってきていました。

吐いてしまう。

そして10月を過ぎたあたりから、

本当に辛くなり、

11月の下旬には

吐血しました。


もうダメだ、何かがある。

そうして一昨年の

12月1日、仕事を休んで

家の近所の中規模病院を受診、すぐに内視鏡検査、

そしてそのまま入院になりました。


仕事のこと、

この先の治療のこと、また書かせていただきます。

読んでくださり、ありがとう。